演劇講座 第11回「演出の仕事その2

 いやいや、質問した人にとってはここが知りたいだろうと思われる核心部分が次回更新回しとなりました。まるでいい場面になるとCMが入る安手のサスペンスドラマのようですね。ま、これも“演出”と言う事で…(^^ゞ

 てなトコロで今回は『演劇で演出家は何するの?』

 今回もズバリきり込んでみましょう。

 演出って言うと「君はここに立ってこっちへ歩こう、で、君はここから出てここで立ち止まりセリフを言う」なんて事をします。これがなぜ“そうでなければならないか”と言う理由の根源が“演出”された芝居になるか“演出”されていない芝居になるかの分かれ目になります。
 立派に“演出”されている芝居も“演出”されていない芝居もどちらにも、ほぼ必ず演出家がいます。で、前記のようにそれぞれの場面やセリフについていろんな指示が出ているはずです。なのになぜ“無演出”に見える芝居が出来あがってしまうんでしょう。

 例えば部屋の飾りつけを考えると簡単に理解できると思います。好きな色、気に入った小道具を飾り付けただけでは、なかなかいい感じの空間になりません。気に入った空間を創るためには全体として何かの意図を持ち、たとえ気に入っていても切り捨てるものは切り捨て、意図に沿うよう全体を考え空間を創っていくと思います。

 演劇の演出もこれと同じ事が言えます。ただ、演劇の場合ほとんどの場合、ストーリー性のある台本があるため、台本上のストーリーをわかりやすくとか、又は台本のテーマが芝居のテーマとしてあつかわれがちになってしまいます。
 しかし、台本も役者、大道具、照明等の芝居の一要素に過ぎません。個々の役者の見せたい部分を演出家が引き出していくのと同じように、台本のテーマも引き出していくというだけのことで、最初に演出家が何を見せたいのかと言う演出意図にはなりません。

 こんな風に書くとなんだかとても複雑で難しそうですが、簡単なところからとっついていけば、とりあえず何とかなっていきます。
 例えばこの芝居を“明るく”見せたいのか“暗く”見せたいのか。“楽しく”見せたいのか“悲しく”見せたいのかと言うようなところからでかまわないと思います。もっと漠然と演出家本人だけがわかる感覚、“赤色”の芝居がしたい、“透明”な芝居がしたい、“海”のような芝居がしたいという事でもかまわないと思いますが、この時に決める演出家の意思が、その後芝居をどう作り上げていくかと言う事がら全てに関わってきます。

 これを決める時、台本のテーマを無視しても、台本のテーマを考慮しながらということでも、台本を読んで受けた印象からと言う事でもかまいません。
 ここでは“ある意味”台本も演出家が演出意図を決める素材に過ぎなくなります。(極端な場合、台本のテーマが演出意図と大きく食い違っていた場合、台本の重要なテーマは芝居の重要な要素では無くなったりもします)
 そのため演出家は演出意図に沿うよう台本の重要なセリフを変えたり、時によっては場面そのものやストーリーまで変えてしまう場合もあります。

 ただ、台本のテーマや台本の持つ雰囲気と演出意図がまったく違う場合、その台本を選ぶ事が本当に正しいのか、演出意図は本当にそれでいいのかを十分注意しなければなりません。これはうまくすれば大変面白い物を生み出すかもしれませんが、失敗する可能性も大きく含んでいます。

 また意図を決める要素が参加する役者たちであったり、スタッフの顔ぶれであったり、上演する場所であったり、最近の演出家の生活であったり、時によっては公演予算であったりもします。

 演出意図を決めたら、あとはそれを十分に表せるよう演技、装置、照明、音響、衣装、小道具(時によっては台本も)など芝居に関係する事柄全てを具体的に決めていく作業に入ります。
 これが「君はここに立って〜」等の具体的な要求になります。

 慣れてくると隠し味も使ってみたくなります。料理では甘さを引き出すため塩を使うといったアレです。
 “透明感”が演出意図なのに対し、あえて“不透明”や“極彩色”な場面や演技、コテコテなBGMを挿入するなんて事だったりします。

 ここまでくると演出の仕事がずいぶん分かってきたと思います。後はイメージを具体化する感覚だけです。(これが本当は一番ムツカシイ…私も修行中です)
 “透明感”(演出意図によってさまざま)を現す事のできる演技、セット、その他の要素についてどんどん要求を出し役者やスタッフを困らせてしまいましょう。

 てなわけで、次回は私自身の事を書いてみましょうかね…え、イラナイ?

(2002年11月8日)

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