演劇講座 第13回「自然な演技って?

前回の更新は確か石器時代頃ですから、演劇講座の更新、これ以上にないくらい久々で、書いてる私も驚いてます(゚o゚)
と言うわけで、演技についての相談メールを送っていただきましたんで、それをそのまま載せてみたいと思います。

初めまして。m(__)m
あの、よくわからないんですけどいくつか質問してもいいですか?(悩み事??)

あの演技が「自然」ということは良いことなんですか??
私はよく、「大丈夫だった」とか「普通だった」と言われるんです。

あと、たわいもない会話の場面とかやってて、「なんかこれ、見てる人つつまんなくないか?」って、所があるんです。台本も面白い台詞があるわけでもなく、感情的な台詞があるわけでもなく…。それでいて見てる人を飽きさせないようにするにはどうすればいいんでしょうか。

それと、演出、舞台監督の仕事?内容と関係を知りたいです。劇において一体、どっちの意見が優先されるかみたいなことを…。

と言うわけで私の返信

 海賊船II 糟谷です、メールどうもありがとう。

 まず自然な演技って事なんですが演技において“自然”をどう捉えているかという疑問があります。

 日常生活レベルでの身振りや話かたを“自然”と呼ぶのか感情に見合った演技を自然と呼ぶのかでずいぶん“自然”の感じ方が違ってきます。

 例えば、ドラマチックに感情が動いているのに「日常生活ではそんなオーバーな話し方しないよ、それは不自然」と考えるのか「大きく感情が動けば大きな声の出し方や、大きな身振りになるのが自然」と考えるのかって事です。

 劇的の“劇”は演劇の“劇”ですから、演劇ってのは劇的な事を演ずるわけです。(感情の動き=演技の大きさ)と考えると、大抵の場合、演技は日常から考えれば不自然な事が多くあったりします。

 また、舞台(演技)ってやつは、かなり特殊な場所で例えば2人で会話していたとすると、日常生活ではお互いがお互いに向けてのみ会話をしていますが、舞台では演技を見ているお客さんに向けても演技をしています。
 これでどう言うことがおこるかと言えば、体や顔を客席に向けて2人の会話をすると、日常生活では不自然でも舞台では自然に見え、逆に舞台奥にいる相手に向かって舞台手前の役者が客席に背を向け長々と会話をしたりすると、日常では自然でも舞台では不自然に見えたりします。

 あなたの演技を見ていないので間違っているかもしれませんが、「大丈夫だった」「普通だった」と感じさせるのは多分日常生活を舞台で再現しているからじゃないかと思います。
 舞台は日常生活+お客さんという日常では不自然な場所ですから、すでにその時点で日常と同じ行動は舞台ではありえません。

演技が「自然だった」と言うのは誉め言葉だと思いますが「大丈夫だった」「普通だった」と言うのはある意味、慰め(気休め)の言葉のように感じます。

 「良かった」「感動した」と言われるためには、観客に対し演技を発信しなければなりません。これがなかなか難しく、うまくできればいいんですが、ヘタにやってしまうと「オーバー」「クサい」というような演技になってしまいます。
 舞台上で“自然”に見える日常では“不自然”な演技で、観客を感動(惹きつける)させる事が役者の腕の見せ所だと思います。

 次に他愛のない場面の話ですが、私の場合他愛のない場面は、観客の息抜き、わかりやすいストーリーの進行、登場人物の説明などで存在することがあります。

 緊張感のある場面が続きすぎたため、フッと息をつける場面を挿入するとか、登場人物たちが他愛のない会話をする事によって、それぞれのキャラクターが見えてくる。というような事です。  ですから、作者(演出)がどう言う意図でその場面を想定したかをハッキリ意識し、その意図が観客に伝わるならばつまらない場面にはなりません。

 でも気をつけなければいけないのは、やりすぎな事が往々にしてあったりします。
 私も気をつけなければいけないポイントなんですが、観客に状況を説明するために、これだけの会話で本当にわかってもらえるだろうか、もうちょっと会話して状況説明しといた方がわかりやすいんじゃないだろうかと、ついついやりすぎてしまう事があります。

 また、作者(演出)がそれが状況説明な場面だと気づかずに、不必要なセリフまでだらだらと書いてしまう事も経験が少ない場合あったりします。

 観客に飽きさせないためには、少し疑問が残るくらいにして早々と終わってしまうことです。少し残った疑問は、たいていの場合本当に見せたい場面でおいおいわかってきます。

 場面がつまらないのであれば本当に必要な会話(場面)なのか考え直してみるのもいいかもしれません。

 もうひとつ他愛のない場面が存在する事があります。
 他愛もない会話が作り出す場所の空気感を見せたいと言う場合です。感動するセリフも感情もないのに、そこに流れる温かく透明な空気に感動する、ってな事ですが、これはかなり難しい演出(演技)です。

 脚本、演出、役者の技量のどれがひとつ欠けても再現できません。
 どうすればいいか悩むようでしたら、こう言う場面は手を出さないのがいいかもしれません。  頑張ってトライするんであれば、セリフの意味よりも、場面に流れる空気が一つ一つのセリフによってどう変化するのか感じながら演技(演出)してみて下さい。

 最後に舞台監督と演出の仕事についてです。
 確かに少し仕事内容がかぶってしまう部分もあります。短く説明するのは非常に難しいですが、演出の仕事はイメージを具象化する人たちに伝える、舞台監督は技術レベルでの伝えられた演出イメージの再現。といった事でしょうか。

 演出イメージを見える物、聞こえる物にするための最終的な再現は、照明、音響、大道具、小道具、衣装などそれぞれのスタッフによって行われます。舞台監督はそのスタッフの総責任者と言うことになります。
 演技における最終的な決定は役者の身体によって行われます。役者の技量、身体的特徴によって演出意図とは違った結果が出てしまう事もあり、演技の最終的な決定権は役者が持つと言えるかもしれません。
 それと同じように、技術面での最終的な決定権は舞台監督が持つことになります。

 舞台監督は演出のイメージを十分理解した上で、資金面や安全面で演出にNGを出すことがあります。これには演出も従わねばなりません。
 場合によっては「この場面長い」「この会話は意図がわからない」など演出にダメだしする事もあります。
 しかし、演劇は演出家のイメージが最優先されます。舞台監督は演出家のイメージを完全に理解し、再現する努力をした上で仕事をしなければいけません。

 例えば演出が「ピーターパンが空を飛びたい」と言えば、舞台監督を筆頭にそれぞれの技術スタッフは演出の希望を実現する努力をします。しかし高校演劇、アマチュア演劇レベルでの資金や技術力では不可能な場合(安易な妥協レベルではなく)、舞台監督は演出にNGを出します。
 でも舞台監督は演出家のイメージを再現することが仕事ですから「その場面は必要ない」と演出意図を変えることは出来ません。飛ばない代わりに、どうすれば演出意図をかなえることが出来るのかを考えることになります。
すると演出家は悩む舞台監督を見て「やっぱり飛ぶのやめようか」と妥協したりしますがこれはあくまで演出家の演出イメージの変更、と言うことになります。

 どうでした?
一つ一つの疑問が、ある意味演劇の核心を突いているような質問ですから一回の返事で答えるのは、本当は無理があるかもしれません。

 わかりにくければ、また質問ください。

 では、頑張って演劇してくださいね。

 と言うわけで、演劇に関する疑問などありましたら、どしどしメール下さいませ。

(2004年7月7日)

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